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活動報告

三重県知事退任のご報告

2021.09.13

感謝、感謝、感謝。心の底からそう感じています。10日、三重県庁での仕事、最後の日。選挙の関連もあって、あまり多く報道されることはありませんので、感謝感謝の気持ちを少しでもお伝えしたいと思い、退任会見、職員への挨拶、職員の見送りの様子など、少し長文ですが、綴らせていただきます。

平成23年4月に就任して約10年5か月。全身全霊職務にあたってまいりました。誰よりも三重県のことを考え、汗をかき、走り回ってきたとも自負しています。そのようにできたのも、就任当時36歳で政治経験もなく、三重県の生まれ育ちでない私を、信じ、ともに歩んでくださった県民の皆様のおかげです。改めて、心から感謝申し上げます。

最近の国体中止の苦渋の決断をはじめ、10年間つとめた知事の仕事は、「決断の日々」。そして、決めたことを、たくさんの方の力を借りて実行する。決断、実行、決断、実行・・・。東日本大震災から1か月後、リーマンショックから県内経済の傷がいえない、そのような状況において就任し、退任時はコロナ禍。その間、紀伊半島大水害、堀栄丸の衝突海難事故、豚熱、様々な不適正事案など、まさに緊張感の高い危機管理が切れ目なく連続する10年でもありました。

そのような中でも、私は、リーダーは明るくなければならないと常々思い、どんな厳しい状況でも、なるべく明るさを失わず、明日に希望を持つように率先して努力をしていこうという姿勢で、10年間職務にあたってまいりました。また、仕事は絶対に一人ではできない。だから、それを補い、知恵を授け、一緒に頑張ってくれる「仲間」が重要です。職員への挨拶でも申し上げましたが、私はその「仲間」にとても恵まれたと実感しています。それは、県庁職員だけではなく、県政にご協力いただいた全ての方々がそうです。改めて心から感謝申し上げます。

会見で述べた今の心境は、ここに至っても、「まだ実感がわかない」と。月曜になって、公舎から引っ越しをし、朝8時半に登庁しなくなって初めて実感がわいてくるのかもしれません。最後の瞬間になっても、まだ実感がわかないくらいに、自分の人生、そして心と体、それらの隅々にまで染み込むくらい、「三重県知事」という仕事に打ち込ませていただけたことに、本当に感謝です。

知事に就任してしばらくした時、妻から「水を得た魚のようやね」と言われたこともあります。とてもとても大きな重圧の毎日で、間違いなく大変ではあったけれども、多くの方々に支えていただき、たくさんの喜びや幸せも感じさせいただきました。

県民の皆様の笑顔もたくさん見させていただけました。今までの人生の中で、間違いなく、最も充実し、最も幸せな10年でした。そういう機会をいただいた全ての皆様に改めて心から深く感謝申し上げます。何度も何度も繰り返しますが、今はとにかく感謝しかありません。それに尽きます。

職員のみんなには、加えて、以下のような話もさせてもらいました。・知事就任後、職員の皆さんへの最初の挨拶で、「変化を期待して当選させていただいた。しかし、改革は一人ではできない。力を結集してほしい」と申し上げた。当時選挙で、「変えるのか、変えないのか」と声をあげており、そのような挨拶に。まさしく、その挨拶通り、職員の皆さんは力を結集してくれた。納得できなかったことや嫌なこともあったと思う。無理難題を申し上げたこともあったと思う。それでも、力を結集してくれ、県民の皆様のためにと努力してくれた。そのおかげもあって、この10年間で、すべての分野ではないかもしれないが、一定の「変化」を起こすことができ、県民の皆様に「変化」を感じていただくことができたのではないかと考えています。

知事に就任する前、「すごいやんか 三重」というキャッチフレーズも掲げていました。知事就任後の最初の週末は、農協・漁協による、東日本大震災の被災地応援チャリティバザーでの売込。その後も、そのような県民や事業者の皆様とともに取り組む機会が多くあり、また、2139回に及ぶ現場訪問をし、日々額に汗して努力をされている県民の皆様とたくさん触れあいました。

あれから10年。「すごいやんか 三重」との思いは、間違いなく、知事就任前より強くなりました。

その思いは、職員の皆さんに対しても同じ。「すごいやんか 三重の職員は」とたくさん思わせてくれました。でも、県民の皆様からの期待は、間違いなくもっともっと大きい。もっともっと「すごいやんか、三重の職員は」と県民の皆様から言っていただけるよう、これからも頑張ってほしい。私はこれからも皆さんの応援団です。新知事の下、皆さんが皆さんらしく、思う存分力を発揮すれば、三重県政は発展する。そう確信してます。10日、職員のみんなからは、写真以外にも個別やグループごとなど、本当にたくさんの心温まるメッセージをもらいました。一つ一つに目を通し、涙をこらえるのが大変です。見送りの際は、感染対策の観点から人数を絞ってもらっていましたが、執務室の窓を開け、多くの職員が手を振って見送ってくれました。写真にはそれにこたえているものもあります。また、任期途中の退職については、2年前の選挙の折に、4年間頑張ることをお訴えしましたので、それを守ることができなかったことは大変申し訳なく思います。一方、8月5日に退職申出をして以降も、国体中止の苦渋の決断、緊急事態宣言発令要請、感染症法に基づく病床確保等要請、若者等向けのワクチン集団接種会場設置決定など、コロナ対策はじめ全力で取り組み、「仕事としての責任」という点については、最後の一瞬まで、しっかり果たし、無責任のそしりを受けるようなことは一切ありません。

様々ご意見があることはしっかり受け止め、今後は、立場は変わっても仕事で恩を返し、皆様に「あの時の判断は間違っていなかった」とおっしゃっていただけるよう精進してまいります。

長くなりましたが、最後に。職員の挨拶でも述べたものですが、以下は、プロ野球読売巨人軍の原辰徳監督が選手として1995年引退するときのものです。原監督には、伊勢市の倉田山球場でのオープン戦でもお会いさせていただきました。「私の夢には続きがあります。この言葉を約束して、今日引退します」。原監督は、その後、監督として、球団歴代1位の勝利数、日本代表としてWBC世界一を達成しました。私は、10年、「三重県を発展させたい」「三重県民の皆様に幸せを感じてほしい」という夢に向かって取り組んできました。そして、その「夢の続き」は、三重県を更に発展させたい、県政でまいた種をより大きく花開かせたい、というものです。今後は、立場は変わっても、更に精進と成長を重ね、この10年間で県民の皆様に育てていただいた恩返しを全身全霊かけて行ってまいります!

本当に本当に有難うございました!

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