11月19日から安倍晋三写真展が開催されます

本日19日から以下の写真展が開催されます。私も23日に伺う予定です。改めてご遺志に思いを致す機会にしたいと思います。

在職日数 3188 日、憲政史上最長となった安倍政権の軌跡を、産経新聞のカメラマンによる報道写真等で紹介されているだけでなく、側近の方が撮影した秘蔵写真もあるそうです。

「特集 安倍元首相が蒔いた種」で実施された討論会に参加させていただきました

11月1日発売の「月刊正論」において、「特集 安倍元首相が蒔いた種」で実施された討論会に私も参加させていただいています。ぜひご覧ください!

台風の交通混乱の影響で遅れて参加となってしまいましたが、限られた時間の中、G7伊勢志摩サミットのエピソードのみならず、極めて公平な方であったこと、安倍元総理が、外交・安保、憲法改正推進、自民党に遺していただいた遺産について私なりの意見も述べさせていただきました。

<こちらからご覧いただけます>

https://www.fujisan.co.jp/product/1482/new/

初当選から1年の節目、本日から2年目のスタートです!

本日から2年目のスタートです!昨日10月31日は、初当選から1年の節目。急逝された安倍元総理はじめ、ご指導ご支援いただいた全ての方々のおかげで今この場に立たせていただいています。心から改めて感謝申し上げます。これからも謙虚に誠実に日々精進してまいります。他方、日本の国益と未来のためには、時に大胆に行動する覚悟も持ちながら全力を傾注してまいります。

至らぬ私ですが、引き続き皆様からのご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

さて、1日21時から、一緒に初当選した三重県の仲間、#川崎ひでと#石原まさたか、両代議士とともにインスタライブを行います!

「安倍なきニッポンの未来 令和大乱を救う13人」に僭越ながら私も登場させていただきました。

おはようございます。
鈴木英敬です。朝晩めっきり寒くなって、日に日に秋の訪れを感じますがお変わりなくお過ごしですか?文化の秋、食欲の秋、と色々と秋の過ごし方はありますが、読書の秋ということで、
先日発売になりました、永田町取材30年の産経新聞上席論説委員である乾正人氏による著書、
「安倍なきニッポンの未来 令和大乱を救う13人」に、
僭越ながら私も登場させていただきました。
ぜひ秋の夜長のお供にして頂ければ幸いです。まだまだ日々精進。
至らぬところばかりですので、引き続き皆様からのご指導ご鞭撻を何卒宜しくお願い申し上げます。季節変わり、呉々もご自愛下さいませ。◎こちらの書籍は、お近くの書店でお求め頂けると幸いです。

野田元総理による安倍元総理に対する追悼演説

25日、野田元総理による、安倍元総理に対する追悼演説。感動と感謝の気持ちがこみ上げる、とても心を打つ演説でした。

演説において、安倍元総理がまだまだ若い人に伝えたいことがいっぱいあったであろうことを何度も述べられました。つい先日、私は、安倍元総理の側近として仕事をされていた方のお話を伺う機会がありましたが、その方も、「安倍元総理は若者のことを、30年後のことを常に見ていた。」とおっしゃっていました。野田元総理は、ご自身曰く「政敵」でありながらも、本当に安倍元総理のお気持ちをよく感じていただいていたんだと感じました。政敵と思うような人の真意をはかることができる野田元総理の懐の深さにも感銘を受けました。

また、「再チャレンジ」、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱し、実践されたことを、安倍元総理の政治家の真骨頂であると。「あきらめない」「失敗をおそれない」ということを説得力をもって語れる政治家であった、と表現され、まさにその通りだと感じました。安倍元総理が1次政権を終え、失意の中でありながら、最初の選挙に落選した私を激励していただいたり、知事選への挑戦を全力を応援していただいたことを思い出し、野田元総理のお言葉どおりの安倍元総理でした。

そして、私の地元伊勢市の出身である、「憲政の神様」と称される尾崎咢堂翁の「人生の本舞台は常に将来に向けてあり」との名言を引用され、言葉をつがれた部分は、鳥肌がたつ感覚でした。

「安倍さん、あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来にあったはずではなかったのですか」「耐え難き寂寞の念だけが胸をしめつけます。この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。」「この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。」と続けられました。

安倍元総理の無念さ、そしてともにいた者たちの寂しさをまさに表現していただいたと感じました。しかし、だからこそ、安倍元総理のご遺志を仲間とともに継いで、日本の国益と未来のために力を尽くしていかねばならないと意を強く致しました。

昭恵夫人も議場で演説をお聞きになられていました。議場にいる皆で安倍元総理を悼む機会となりました。

【ノーカット動画】野田元首相が安倍元首相の追悼演説 全文

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221025/k10013869471000.html?fbclid=IwAR0SeG4jKx5zyOPMp-mD4wveDeQP3HzfivV8jdTnFL945-lFi4HJe6wnLHM

「安倍なきニッポンの未来 令和大乱を救う13人」が先日発売になりました

先日発売になりました、永田町取材30年の産経新聞上席論説委員である乾正人氏による「安倍なきニッポンの未来 令和大乱を救う13人」に、僭越ながら私も登場させていただきました。まだまだ日々精進です。至らぬところばかりですので、引き続き皆様からのご指導ご鞭撻を何卒宜しくお願い申し上げます。

<こちらからご覧いただけます>

https://www.business-sha.co.jp/books/category01/item_a001007

1人、立っている、、「( 賀 正 “你 人 乾 令 ラ 和 ポ 倍 安 本 き 大 ನವ を ン な 乱 の 未 救来 救 う 13 人 世界の 「シンゾー」が 果たせなかった 30余年の記者が 永田町取材 安倍政治を 検証! だ政選 政 課題に挑む 治 だ 家 は ビジネス社」というテキストの画像のようです

天皇陛下をお迎えして臨時国会が開会しました

おはようございます、鈴木英敬です。
お彼岸も過ぎ、朝夕めっきり涼しくなりましたね。
皆さんお変わりありませんか?

さて昨日、天皇陛下をお迎えして、臨時国会が開会しました!

大臣政務官として臨む初めての国会。
答弁の機会もあると思います。
知事時代10年半、県議会で答弁させていただいていましたが、また全く違う緊張感だと思いますので、誠実に丁寧に対応していきたいと思います。

また、政務官の担務だけでなく、
・安全保障
・エネルギー
・国土強靭化
・食糧安全保障と農林水産業の振興
・コロナ後の観光再生
・中小企業
・小規模支援
・少子化対策
・医療
・デジタル
・地元関連 など
年末に向けた「予算」・「税制」・「計画」づくりなど全力を尽くしてまいります!
引き続き、ご支援の程どうぞ宜しくお願い致します。

皆様も季節変わり、くれぐれもお身体ご自愛下さい。

季節の変わり目からかお別れの続く週末でした。

季節の変わり目からか、お別れの続く週末でした。

知事時代の初代後援会長であった小菅弘正さん。本当に博識でいらっしゃり、ワインのこと、歴史のこと、たくさん教えていただきました。三重県商工会議所連合会会長も歴任され、三重県の経済界のリーダーでした。享年94歳でいらっしゃいましたが、亡くなられる1か月前まで、ステーキや中華、生ビールなどもペロリと飲み食いされていたそうです。

三重県外湾漁協初代会長や三重県漁連会長であった清水清三さん。「勇気ある決断」を座右の銘に、強力なリーダーシップで、三重県水産業の発展のためご尽力されました。地元奈屋浦を日本有数の漁業基地にされました。会長をご勇退されてからも、365日、網の手入れを自らされている姿が目に焼き付いています。原点や基本を大切にされる方でした。この地域の父親のような存在でした。ご葬儀にて、弔辞も読ませていただきました。

育てていただいた方々が次々にお亡くなりになられるのは、「英敬よ、人のお役に立てるよう、自らの足でしっかり立ちなさい」と激励してくださっているのではないかと、とてもとても悲しいですが、自らに言い聞かせております。

改めてご冥福と、ご遺族の皆様へのお悔やみを申し上げます。本当にこれまでありがとうございました。安らかにお眠りください。合掌。

安倍元総理の国葬儀に参列させていただくとともに、葬儀委員を拝命し運営にあたらせていただきました。

安倍元総理の国葬儀が営まれ、参列させていただくとともに、葬儀委員を拝命し、運営にあたらせていただきました。人の命はいつか終わりを告げ、人と人との別れが来ることは避けられないものと頭では理解しつつも、突然の、あまりにも突然の、安倍元総理との別れに、この2か月半複雑な思いが続いていました。しかし、そのような中でしたが、今回の国葬儀は、関係者の皆様、何より昭恵夫人はじめご遺族のおかげで、厳かで心のこもった国葬儀になり、様々な意見があることは承知しておりますが、私個人としては、国葬儀が行われたことは良かったと感じています。

「総理、ありがとうございました」。祭壇前にて心の中でつぶやいた最初の言葉。改めて、「政治家鈴木英敬の生みの親」でもありますので、心からの感謝の気持ちを込めて、哀悼の誠を捧げました。ご遺族、とりわけ昭恵夫人のお気持ちを思うと、察するに余りある、大変お辛い状況であると思われますが、国葬の実施や準備にあたった関係者、献花に向かう際に昭恵夫人にお声がけする方々など、すべての方お一人お一人に丁寧に丁寧に、悲しみを抑えながら対応されていた姿に本当に頭の下がる思いでありました。

祭壇前で心の中でつぶやいた次の言葉は、「総理、今日も晴れましたね」。安倍元総理はスーパー晴れ男。平成28年のG7伊勢志摩サミット時も、朝からすぐれなかった天気は、首脳による伊勢神宮訪問時に素晴らしい晴天に。あの時、地元知事として、天気に関して大変なプレッシャーを感じていましたので(笑)、当時の菅官房長官も天気のことをご心配されておられました。しかし、見事に晴れ、安倍元総理はじめ首脳による笑顔が映える機会となりました。当日配られた栞には、3枚の写真しかありませんでしたが、その1枚に伊勢志摩サミット時の内宮神楽殿前での首脳が歩きながら談笑されるシーンが取り上げられておりました。本当に嬉しかったですし、生前のお姿を映した動画にもたくさん出てきて、大変熱い思いになりました。これらを思いながら、この日の朝一番の秋晴れを報告しました。参列される方や一般献花に並ばれていた皆様への安倍元総理の優しさも現れているのではないかと感じた次第です。

今回葬儀委員を拝命しました。天皇皇后両陛下のお使いの拝礼に続き、上皇、上皇后のお使いの方が拝礼をなされ、その後、皇嗣殿下はじめ皇族各殿下の献花がございましたが、官房副長官とともに、上皇后のお使いの方の拝礼時等のご案内をさせていただきました。私も献花を終えた後は、岸田総理の近くの、献花をされる方々のご表情がよく見える場所に座らせていただいておりましたが、皆様が心を込めて献花をされる姿を近くで見させていただいて、熱い思いがこみ上げてきました。国葬儀の最後には、岸田総理、昭恵夫人に続いて列に並び、ご遺骨のお見送りをさせていただきました。大きな事故やテロなどなく国葬儀を終えることができたこと、関係者の皆様のご尽力に心から敬意と感謝申し上げます。

菅前総理が友人代表として弔辞を述べられました。素晴らしい弔辞でとても感動し、私も涙が出て、会場からも弔辞終了後、弔辞であるとわかりながらも自然と拍手が起こりました。特に、菅前総理ご自身も声を詰まらせたのは、「総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした。」という箇所でした。政策の話の場面ではなく、「笑顔」というところで声を詰まらせたことは、菅前総理が心の底から安倍元総理のお人柄を慕われ、ともに過ごされてきたんだなあと思い、胸が熱くなりました。菅前総理が、ご自身の今の気持ちとして引用された、山県有朋が伊藤博文が亡くなった時に詠んだ「かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」という歌は、本当にその場に居合わせた我々も同じ気持ちと感じられる歌だったと思います。ちなみに、この歌は、安倍元総理が、JR東海の葛西敬之名誉会長が亡くなられた際の対談で引用されていたそうです。

配布された栞には、「夢」という字、安倍元総理がよくされる揮毫がありました。これは私も大好きで写真にあるように、知事時代の執務室や現在事務所に飾っています。しかも、大変僭越ながら、私も揮毫で、安倍元総理のように達筆ではありませんが、「夢」をよく書かせていただいており、この栞を見た際、鳥肌が立つような思いでした。安倍元総理のご遺志を継いで、「夢の続き」を仲間の皆さんと一緒に実現できるよう精進を重ねていかねばと改めて意を強くしています。

この日、葬儀委員としてモーニングを着用している時以外につけていたネクタイは、写真にある青のレジメンタルのネクタイ。これは、安倍元総理が、生前約60年ぶりにピアノ演奏された「花は咲く」を弾かれている時につけられていたものと同じネクタイです。私もG7伊勢志摩サミットの時の2日目に着用していたものです。「花は咲く」の歌詞にあるように、若者やこれから生まれてくる次世代、そして日本の未来を思い続けた安倍元総理。その蒔いていただいた種を花咲かせることができるよう、我々残されたものが、この国葬儀を1つの「節目」として、誠心誠意努力をしていかねばならない、そんな気持ちを強くさせていただく、何か、安倍元総理から、背中を押していただくような一日だったと改めて思います。安倍晋三先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください。我が国の行く末を天国で見守っていてください。合掌。