西郷隆盛に学ぶ
こんにちは。すずき英敬です。
昨日は久々に龍馬伝を見て、
長崎の料理屋で、西郷隆盛率いる薩摩勢と高杉晋作率いる長州勢が一触即発になったとき、
龍馬が全体にこう言い放ちました。
「それぞれのことばかり言っていて、もめている場合ではない。
何やってるんだ!!!
日本のために、みんなで一緒にやらなければならないときだ!」
と言ったことは、今の政治にも言えると改めてとても感銘を受けました。
党派でもめている場合ではない。
自分の利害だけ主張してもめている場合ではない。
今日は、「西郷隆盛 ラストサムライ」の著者で建築家の
上田篤先生が主宰する勉強会で西郷隆盛についてお聞きしてきました。
大変今後の日本の方向についてヒントをいただきました。
主なポイントは以下のとおりです。
○明治維新の評価・総括がなされていない。それが日本の現在の漂流・混乱の原因の一つ。
○西郷隆盛は、スイスのような国づくり、「小国大輝」を目指していたのではないか。連邦制や地方分権、民兵制、食料・エネルギーの自給、職業の在り方、商工業、永世中立など。大国路線では、そこにいる人間を食べさせるためにアジアなど進出しなければならない。当時、日本は食料自給率30%、エネルギー自給率3%。毛沢東は、「日本をつぶすのは簡単。日本に入るタンカーを全て砲撃し、食料・エネルギーを入らないようにすればいい」と言っていた。
○スイスの時計産業は百姓が支えている。今も5階建ての住居用建物の1~3階を住居とし、4~5階は時計工場になっている。ロンジンもフィリップスも百姓の名前。
○西郷が目指す国家像について、西郷は若い時に藩の下級役人としてあちこちの農村を歩いた。また、奄美大島などに流され、その土地にはその土地のやり方がある、という考えを持った。中央を離れ、鹿児島で試みたのは地方分権の実践である。
○ペリーが日本に来たのは日本をキリスト教化することが目的。しかしそれには失敗。明治政府も過去の日本人の「付和雷同」的資質があるので、キリスト教が広まることを極端に恐れて阻止した。現在の政治や最近の選挙も同じ。日本人の付和雷同的資質が出ている。だからこれからもコロコロ変わる。
○岩倉使節団は、イギリスでも、フランスでも、アメリカでもなく、大国に挟まれた小国が生き残っていくために武力が必要としていたプロイセン(現在のドイツ)に感銘を受けて、富国強兵路線を目指すこととした。当時のイギリスを目指さなかったのは、なお貴族が強く、公家がまた復活してくると懸念したから。フランスを目指さなかったのは、プロイセンとの普仏戦争にフランスが負けて、パリコミューンができ、無政府状態になっており、売春、貧困など国が荒れていたから。
○しかし、「富国強兵」のドイツは最大の武力を誇りながら、二度の世界戦争で負けた。イギリスなどの「政治力」「情報力」で負けた。その反省がいまにいたっても日本ではなされていない。









