1/24 朝日新聞

1/24 朝日新聞にロスジェネ第2章としまして、すずき本人の記事が掲載されました。

「in my life」17
■ロスジェネ第2章■
◇◆挫折超え政界の道◆◇


 2009年8月30日。政権交代が決まった夜、「人生最大最強の挫折」を味わった。


 三重2区から自民党公認で立候補したが、6万票以上の大差で完敗。「いつもは布団に入って3秒で寝付ける」ずぶとさだが、この夜ばかりは悔しさで眠れなかった。経済産業省の職員時代、若者の就労を支援する「ジョブカフェ」を立ちあげた自分。「今や自分がニートですよ」


 小学6年、テレビに映った当時の中曽根康弘首相を見て強烈なパワーを感じた。「僕も総理大臣になりたい」。一人っ子で、両親も共働き。かまって欲しいし、目立ちたい、そんな思いからだった。


 経産省の課長補佐から、安倍政権時代に官邸スタッフとして呼ばれた。制度改革の足を引っ張る官僚、その官僚に政策を丸投げする政治家――。国を変えるには、政策を自分で提案できる政治家になるしかない、と、かつての夢を改めて胸に刻んだ。


 若手公務員を育成する「スーパー公務員養成塾」を立ち上げ、講演で全国を飛び回り、「公務員のカリスマ」とも呼ばれたが、08年に退職。「価値観の中でも『安定』の優先順位は低い。迷いはなかった」。10年間の貯金と小口の寄付、そして借金を背負い、勝負を挑んだ。


 落選後、地元で若手経営者らの勉強会を始めた。党内では、舛添要一氏に呼びかけて「舛添政治カレッジ」もつくった。課題は、同世代に政治への関心を呼び起こさせることと自覚する。「30代、40代はこれからの社会を担っていく。もう、ひとごとで生きていくのはだめな世代なんです。地域や日本を正しく導く人を選んでいく責任がある」


 その責任の一端を担い、さらに夢を手にできるのか。「目標を達成するために、どういう方法論を積み上げていけばいいのか、見えない」と不安も漏らす。でも、立ち止まるつもりはない。「高齢化、少子化で人口が減る中で、今までどおり経済を豊かにしていこうだけでは立ちゆかない。一人一人が幸せを感じられるように価値観を変えていくには、トップに立たないと。60や70のしょぼくれた政治家じゃ、希望や勇気って発信できないでしょう」

■母・初代さん(61)


 「やる気、負けん気、根気。これが人生の3原則と思うとるんや」


 兵庫県西宮市に住んでいたが、08年12月末、鈴鹿市に転居し、英敬さんの事務所スタッフに。25年間勤めた金融関係の会社で経理を担当した経験が生きる。「夫と離れ、単身赴任ですわ」


 若いころは学校の先生になりたかったが、父は猛反対。「古風な考え方の人で。女がそんなに勉強してどうするんや、男女平等なんておかしいって言って。よう議論しました」


 決めていた55歳で退職。働く女性の子どもを預かる市の「ファミリーサポート」に登録し、自宅で預かった。実母の介護も経験し、みとった。


 「小さいとき、共働きで寂しい思いをさせた。その寂しさは生涯消えない。お金も家も残せない。せめて私が一生懸命やって、絶対にあきらめないって姿勢を見せて、ちょっとでも手助けになればと思ってます」

◆子の思い出◆


 小学生から大学浪人時代まで習っていた「チェロ」


 「親が、自分が音楽ができない家庭に育ったからという理由で、私をオーケストラに入れて、チェロを買ってくれた。大学に行ったときにやめちゃったんですけど。小さい目標を立てて、達成感を得るっていうことを学べました」(英敬)


 「音楽って世界共通語でしょう。人間、感動できなかったらなんにもできへん。チェロは、肉声に一番近い楽器だと聞いたんです。素朴なじわっとしたもんが音色にあるような気がして。今は、鈴鹿に持ってきています」(初代)